
池波正太郎 著
「仇討群像」
(文春文庫)
ここに収められた九篇の仇討小説は単なる復讐物語ではない。五百石の旗本が用人の妻に邪な情欲を燃やしたことが発端であったり、衆道が動機となっていたり、つまらぬ女にからむ殺人だったり・・と馬鹿げたことから仇討という突発事件にまきこまれた人間たちの、のっぴきならないありさまを描く異色短篇集。−裏表紙より−
これも、久々に再読しました。
仇討の話は“美談”というイメージが強いと思います。仇討といえば有名な「赤穂浪士」の討ち入りがありますね。侮辱されても我慢を続けて来た殿様がとうとうキレてしまい、松の廊下で吉良に傷つけてしまう・・そして切腹させられたことで、家も断絶となりますが、殿様の恨みを晴らすために家中の者たちが立ちあがる!!

・・という素敵なイメージを覆すような話ばかりが収録されているのが、この本。池波正太郎にかかると、仇討もただの美談では無くなります。
この短編集にも「大石内蔵助」の話があります。ただ、ここでの話は「赤穂浪士」に憧れを抱いている人にはお勧めできない感じです。より人間臭い大石が描かれていますから・・。まあ、この方がリアルな気もしますけどね。
「自分の家柄」や「上司に対する思い」「生き様、死に様」などにかなり重きを置いていた時代の人たちとはいえ、やはり人間ですからそう簡単に命を捨てることは難しいのは当たり前です。
例えば「興奮」という話では、数人で仇討に出て、準備を進めてやっと討ち入ったのに、たまたまそこで祭りが行われていたせいで「気づかれた!!」と勝手に焦り、味方の心配もせずに逃走してしまう・・という情けない姿が書かれています。最終的には成功したか?と思うとそうでもなく、結局中途半端な仇討で終わります。
「坊主雨」という話では、慕っていた兄を殺害された弟が仇討に出たのですが、兄の秘め事を知ったせいで苦悩し、人生を狂わせてしまいます。
また、仇討にも許される物と許されない物があったそうです。
親のかたき以外の、伯父叔父、妻などのかたきを討つことは、事情によってゆるされるし、兄のかたき討ちもよいが、姉や弟妹のかたき討ちには、まず正式の許可がおりないことになっている。
これについては、作者もかなり調べたそうですが、理由がわからないそうです。正式な許可が無い場合、国境も超えにくいですし、仇を討っても殺人事件として取り調べを受ける場合もあるようです。
こんな風に、仇討というのはかっこいいだけでは済まされない出来事だったわけです。でも、仇を討たないと家を再興できなかったり、名誉が回復できずに家に戻ることができないので、追う側にとっても辛く厳しい旅になります。
あまりにも情けなすぎて笑ってしまうような話や、苦しみが伝わってくるような話、泣ける話など、様々な仇討の話があって、読み応えのある本になっています。
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