2013年11月11日

伊坂幸太郎「グラスホッパー」

グラスホッパー

 伊坂幸太郎 著
 「グラスホッパー」
 (角川文庫)


「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとに−「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。失踪感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説!−裏表紙より−


“殺し屋小説”ですよ! どんな話なのか不安になりました・・が、読み始めると面白くて一気に惹きこまれました。

さすがに“殺し屋小説”だけあって、人はたくさん死にますし、殺されます。しかも描写がいちいち細かくて、書かれていることを想像しながらは読めない感じでした。

この作家さんの得意な構成になっていて、3人の視点で描かれた物語が交代で出てきます。視点が変わるときにはそれぞれの名前がハンコのように押されています。


視点となる人物は、元教師・鈴木、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの殺し屋・蟬の3人です。

鈴木は唯一、殺し屋ではなく、亡き妻の復讐を誓う純粋な人間で、彼がいることで物語が重くなり過ぎず、読者の感情に近い所で語られるので読みやすかったような気がします。

鯨は、かなりの大男なのでこんなコードネームで呼ばれています。彼を見て、彼の声を聞くと、人はなぜか無性に死にたくなります。首を吊ったり、飛び降りたり・・。彼に説得されると、きちんと遺書まで書いて死んでいく。とても不思議な人物です。

蟬は、ナイフを使って刺し殺します。人数が多ければ多いほど興奮するタイプで、一家惨殺最高!と思っています。蟬のようにうるさいからこんなコードネームが付けられています。


鈴木が狙う人物が目の前で車に轢かれて死亡するのを目撃してしまう所から話は始まります。しかもその事故が“押し屋”と呼ばれる殺し屋の仕業だとわかり、あわてて犯人らしき人物を追います。

鈴木と押し屋と思われる男性や家族と過ごす場面が、何とも言えない不思議な雰囲気を出していて、でも妙に気になって目が離せない感じがして、どんどん読み進めてしまいました。

更に、鯨や蟬と鈴木が出会う所からは読むのを止められませんでした。

とても軽い感じの話なのに、それぞれに悩みや苦悩があって、意外と心に刺さる言葉もあったりして、読み応えもありました。


最後はキレイにまとまって、収まる所に収まって、ハッピーエンドでした。・・・・いや、たくさん人が死んだのに「ハッピー」ではないですがふらふら

続編も読んでみようと思います。しかし、続編ってどういうこと!?


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posted by DONA at 14:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 読書:伊坂幸太郎
この記事へのコメント
こんにちは、DONAさん。

この伊坂幸太郎さんの「グラスホッパー」は「ラッシュライフ」のような感じで、元中学教師の「鈴木」と、ドストエフスキーの「罪と罰」を愛読している自殺屋「鯨」、一家皆殺しが得意な「蝉」の3人の視点から物語は進んでいきますね。

今までの伊坂作品には、映画的なイメージを持っていたのですが、この作品は、まるでどこかの小劇場でお芝居を見ているような感覚でした。

リアリティの欠如というのとは少し違うのですが、どの人物の動きも、どこか芝居がかって感じるせいか、悪役の悪役ぶりがあまりに堂に入ってるせいか、あまりにあっけらかんと仕事をしているせいか、どんどん人が死ぬ話の割には読後感も爽快でした。良かったです。

本来、悪役であるはずの比与子や岩西もどこか憎めないですし、議員の梶とその秘書も、その後、すっかり仲直りしてしまいそうな感じです。

槿とすみれと健太朗と孝次郎の一家も、鈴木も蝉も鯨も、彼らが殺した人々の亡霊も皆、物語の最後に舞台に出て来て、全員で手を繋いでニコニコしながら客席に向かって挨拶しそうな感じなんですね。

全ての登場人物が好きになってしまいそうな、素敵なエンターテインメント小説。
「陽気なギャングが地球をまわす」のような、あっけらかんとした悪漢小説。

伊坂さんの描く悪漢は、本当に魅力的ですね。
最後の「バカジャナイノー」の台詞も効いていまね。
Posted by 紫陽花 at 2024年06月27日 09:18
丁度「ラッシュライフ」のような感じで、元中学教師の「鈴木」と、ドストエフスキーの「罪と罰」を愛読している自殺屋「鯨」、一家皆殺しが得意な「蝉」の3人の視点から物語は進んでいきます。
今までの伊坂作品には映画的なイメージを持っていたのですが、この作品は、まるでどこかの小劇場でお芝居を見ているような感覚でした。リアリティの欠如というのとは少し違うのですが、どの人物の動きもどこか芝居がかって感じるせいか、悪役の悪役ぶりがあまりに堂に入ってるせいか、あまりにあっけらかんと仕事をしているせいか、どんどん人が死ぬ話の割には読後感も爽快。良かったです。本来悪役であるはずの比与子や岩西もどこか憎めないですし、議員の梶とその秘書も、その後すっかり仲直りしてしまいそう。槿とすみれと健太朗と孝次郎の一家も、鈴木も蝉も鯨も、彼らが殺した人々の亡霊も皆、物語の最後に舞台に出て来て、全員で手を繋いでニコニコしながら客席に向かって挨拶しそうな感じなのです。全ての登場人物が好きになってしまいそうな、素敵なエンタテイメント。「陽気なギャングが地球をまわす」のような、あっけらかんとした悪漢小説。伊坂さんの描く悪漢は、本当に魅力的ですね。最後の「バカジャナイノー」の台詞も効いています。
Posted by 3d@xe at 2024年06月29日 17:13
>紫陽花さん
コメントありがとうございます。いつもいつも丁寧な感想ですね。
確かにリアリティの欠如が良い味につながっているんでしょうね。あまりにもリアルに描かれると多分読むのが辛いでしょうから、サラッと何でもないことのように過ぎていくから読みやすいのでしょう。でもなんとなく自己嫌悪というか、こんなに人が死ぬのに「面白かった」で良いのだろうか?とは思いますね。
Posted by DONA at 2024年07月01日 15:25
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