
山本周五郎 著
「一人ならじ」(いちにんならじ)
(新潮文庫)
足軽の栃木大助は普段から「痛い」ということを決して言わない男だった。彼は合戦の最中、敵が壊そうとしていた橋桁の代わりに自分の片足を突っ込み、味方を渡らせたため、骨折してしまった。それ以後、戦に行けない身体となってしまい、縁談も破談となってしまったのだった・・。−「一人ならじ」他「三十二刻」「殉死」「夏草戦記」「さるすべり」「薯粥」「石ころ」「兵法者」「盾輿」「柘榴」「青嵐」「おばな沢」「茶摘みは八十八夜から始まる」「花の位置」計14編収録
足軽という身分で「我慢強い」というだけでは、この時代では珍しいことでもなく、大助も決して目立つような存在ではありませんでした。
幼少の頃から父親に「我慢する大切さ」を教えられたため、それを全うしただけのこと。本人も当然のこととしていて、自ら目立とうとすることもなく、日々精進していたのでした。
ある合戦で片足を橋桁代わりにして骨折してしまい、足を切り放すことになりました。それ以来、戦に出られない足軽は主君の役に立てない・・ということで評判を落としてしまい、縁談も無くなってしまいました。
彼が片足を突っ込んだとき、そばには丸太があり、それを使わなかった大助のことを非難する声も上がったのでした。
それでも彼は気にせず、今自分にできることをやり続け、いつかは片足でも戦に出てお役に立てるようになろうと決心するのでした。
この時代では当たり前だった我慢強さと主君のために・・という覚悟。平和な今を生きる私は感動してしまいました。
「石ころ」は、戦場で特別な高名を上げず、必ず一つずつ石を拾ってきている多田新蔵という武士の話。
彼の妻・松尾は石を拾って来る良人に理由を尋ねます。彼は「どこにでもあるなんてことのない石だけど、馬に蹴られても踏まれても文句も言わずころげている。この素朴さが好きなんだ」と言います。それを聞いても理解できない妻。少しずつ良人に対する不信感が芽生えてきていました。
そんなとき良人が戦場でどんな戦い方をしているのか、父親が語ってくれます。新蔵は戦場でどんな高名な武将を討っても、首を取ろうとせずそのままにして次の敵へと向かうため、手柄が他の人になるのでした。
なぜ手柄を人にゆずるのかを聞くと、新蔵は「手柄よりも敵を多く倒すことが大事だと思うから」と淡々と答えるのでした。
この時代にはいくつの首を取るか?が戦場での手柄になるので、それを取らずに行くことはかなり強い心が必要なことでした。戦場で功名を上げることが武士として名誉なことですし、主君の役に立ったことになるわけですから・・。
「覚悟」というのは口で言うのは簡単でも、実際には難しいことです。それが当たり前のようにできていた当時の武士たち(武士だけではなく他の人たちもですが)の生き方に感動します。
そんな感動の話がたくさん詰まったこの本も、私のお気に入りの1冊です。
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