
黒田基樹 著
「戦国「おんな家長」の群像」
(笠間書院)
戦乱の世で「家」を支え、時代とともに消えていった女たち 浅井茶々や寿桂尼など、大河ドラマや歴史小説でスポットが当たることも多い戦国時代の女性たち。実際に「家」の長となる女性はいたのか?いたとしたらどのような「活躍」をしたのか、なぜ戦国の終わりとともに姿を消したのか 史料をもとに、その謎に迫る。。−帯より−
初めましての作家さんです。戦国時代は好きなので興味があって「本が好き」で献本申し込みしました。
思ったよりも堅苦しくて難しかったです。私のあまりよろしくない頭では理解しにくい部分がたくさん・・。でも戦国時代は、日本史の中でも好きな時代なので時代背景を思い浮かべながら何とか読めました。
もっと具体例というか、物語調の部分があった方が読みやすいと思います。
この時代の「家」というのは現在でいう「家」とは違って、もっと広い物のことです。現在でいうと市とか県とかに当たるでしょうか。なので、「家長」とは市長とか県知事のことになりますね。
戦が起こることを考えると「国」単位のような気もしますが。
基本的に昔からトップに立つのは男性と決まっていて、この時代は世襲制なので、父親から長男へという流れになっていました。でも男の子が生まれなかったり、幼くして亡くなってしまったりすることもあり、そんな時は弟や従兄弟、次男三男などへと権力が移っていきました。婿養子のようなこともあったようですね。
それでも子どもが跡を継いだ時にまだ幼かったら、誰が「長」として色んなことを決定していくのか?といえば、母親だったり妻だったりするわけです。そうして「おんな家長」というものが生まれたそうです。
おんな「家」長という人は、歴史上に何人かいるそうですが、一般的に有名な人は浅井茶々ですね。豊臣秀吉の奥さんといえばわかりやすいでしょうか。秀吉が出てくるドラマには必ず登場する女性です。
私が見たドラマでは「秀吉の最愛の女性」という紹介がされていて、やたらとベタベタしていた覚えがあります。実際には何人もいる奥さんのうちの一人ですし、正妻でもありませんが。まあこの時代は正妻=一番好きな女性というわけではないでしょうけど。逆に正妻は政略結婚の可能性が高いので、義務感で結婚したというパターンが多そうです。
彼女は、秀吉が存命の時は何もしていませんが、亡くなった後は息子の代わりに「長」として色んな決定を下していたそうです。それは、彼女が出した手紙で明らかだそうです。他国に対しても要望書を出したりしているので、彼女が家を動かしていたと見られるそうです。具体的にどんな手紙だったのかも丁寧に書かれていますが、私にはあまり理解できず。でも何かしらの重要なことを決めていたそうです。
でも結局は女性がそんな決定を下すことに対して、家臣の中には嫌悪感を募らせる人もいました。これは昔も今も同じですね。そして、そんな「おんな家長」は戦国時代を最後に見られなくなるそうです。
そこは何だか不思議です。戦国時代のようにいつどうなるかわからないような不安定な時の方が女性が権力を持てて、安定してからは持てないなんて。
統一政権の成立とその継続は、社会における自力救済を抑制し、それに代わって、政権を中核にした新たな社会秩序を生成し、それを固定化していくものであった。その過程で、女性の政治・軍事からの排除が進行した可能性がうかがわれる。
ということです。・・よくわからないですけど。
今回の総裁選には女性も出馬していましたが、やはり選ばれることはありませんでしたね。でもきっと近い将来には女性首相も出てくれると思うので、その時にどんな国になっていくのか楽しみです。初めての女性は叩かれるでしょうね・・。まあ男性がなっても一度は叩かれるんですけど。日本が世界に誇れるようなそんな国になると良いと私は思います
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